偏見で語る世界史

遊牧民視点とか雑記とか

初期の前漢は「中華帝国」なのか

ブログを始めたがテーマが見当たらない、ということで最近触れていなかったが世界史について少し書いてみようと思った。

 

今回は特に日本人が偏見を持ちがちなように感じる前漢成立期について書いていきたいと思う。

 

前漢成立期といえば何を思い浮かべるだろうか。おそらく劉邦(りゅうほう、幸○の科学のあの人とは関係ない)による「中華帝国」の成立というのがおおまかな印象なのではないか。確かに前漢が中国全土を支配する体制をおおまかにとはいえ調えたことは間違いない。しかし、これはあくまで現在の「中華」という枠にとらわれすぎた見方だろう。前漢成立期においては「中華」という枠は必ずしも「漢民族世界」とは一致していない。このため、より広い視野で前漢成立期をとらえるのが妥当な見方なのではないかというのがこの記事の趣旨になっている。

 

なぜ「初期の前漢中華帝国」という点に疑問が残るのだろうか。この鍵となるのが北方騎馬民族匈奴の存在である。世界史の教科書において、このような記述を見かけたことはないだろうか。

 前200年、匈奴冒頓単于前漢劉邦を白登山の戦いで破り、匈奴に有利な条件で講和した。

一見すると遊牧民が中華世界の領域内に侵入し、中華世界の支配者たる漢王朝から譲歩を引き出したかのように思える記述である。中国を中心に据えればそのような解釈になるのが普通だろう。しかし、このとらえ方は実際のところあまりに東洋史を中国史的に解釈しすぎであるような気がする。ではどう解釈するのが現状に即しているのか。それは、「ユーラシア東方の覇者である匈奴に中原を支配する劉氏が従属した」といった解釈である。

 

それではあまりに匈奴に対して贔屓目すぎる、という意見もあるかもしれない。しかし考えてみてほしい。当時の前漢匈奴に対して「譲歩」といえるほど匈奴に勝るような国家だったのだろうか。答えは否である。

第一にこれら2国の国力を比較すると、匈奴に分がある。前漢は「中国」を統一したとはいえ紀元前ごろは発展した領域は後代に比べると限られており、現在の我々が想像するような北方との生産性の差は比較的小さかったはずである。一方の匈奴モンゴル高原のみならずその影響範囲を西方のオアシス都市にも広げていたとされる。「遊牧」という言葉からは想像もできないほどの経済力を有していたことは想像に難くない。

第二に両国の指導者の資質の差が挙げられる。前漢を統一した劉邦は、後世では「人たらし」として有能な人材を配下に置き漢王朝を成立させた、とされている。そのイメージを否定するわけではない。しかし、統率者としての能力はいかほどか。詳細は割愛させていただくが、先述の白登山の戦いについては、前漢の歴史書の『史記』においてさえ大敗したエピソードがはさまれ、その無能さが記されている。本来王朝の創始者について悪く書くはずのない正史でさえこの有様である。実際にはより統率者として能力が低かったであろうことは容易に推測できる。一方の匈奴単于冒頓単于はほぼ独力で東胡、および月氏に圧迫されていた匈奴を隆盛に導き、東胡を滅ぼして月氏を西走させた人物である。両者の力量差は歴然としている。

 

以上のことから前漢匈奴に従属していた、という推論がある程度の根拠を持つと言える。このことを頭におくと、初期の前漢は「中華帝国」に当たらないという論もある程度妥当なように思えないだろうか。「中華帝国」は周辺諸国中華思想の影響を及ぼすことが定義の一つである。はたして匈奴従属下の漢にそのような力はあったか。

実際に漢を「中華帝国」と認めてよいのは国力を増し、匈奴を追いやった武帝以降だろう。

 

長々と書いてきたが、結局のところ現在の東洋史においては中国中心の歴史観がはびこっていることで実情からずれた歴史解釈が多くなってしまっているのがこの記事を書いたきっかけである。ぜひ世界史に触れるときは、教科書の記述も一度立ち止まって、「漢民族の視点」以外の視点から歴史をみることもしてほしい。

 

今回は若干堅めの内容になってしまったが、次回は緩めにプトレマイオス朝でも書いていきたいと思う。