偏見で語る世界史

遊牧民視点とか雑記とか

プトレマイオス朝という魔境

突然だが紀元前エジプトと聞いて何を思い浮かべるだろうか。ピラミッドやエジプト神話、そして多くの人はクレオパトラを思い浮かべるのではないか。今回はそんなエジプトを代表するクレオパトラの家系である王朝、プトレマイオス朝の現代人感覚から見た常識とのギャップを書いていきたい。

 

まずはこのプトレマイオス朝について簡単に説明する。そもそもこのプトレマイオス朝エジプト人による王朝ではない。「クレオパトラはエジプト顔をしていない」といった話が示すように、プトレマイオス朝の支配者はマケドニア人である。要するに、あのアレクサンドロス(バンドではない)の後継者が建国した国家である。エジプトはアケメネス朝による征服以来外来民族の支配下に置かれており、この流れでアレクサンドロスの後継者(ディアドコイ)であるプトレマイオスがエジプトを支配し王位を宣言したことでエジプトにプトレマイオス朝が成立したのだ。(余談だが、エジプトをエジプト人が再び統治するのは遠くのち、イギリスから独立し、主権を回復するのを待たなければならない。)

 

と、ここまではある程度まともな話をしてきたが、プトレマイオス朝が面白いのはあまりにもまともではない(少なくとも現代の価値観においては)部分である。プトレマイオス朝の何がそんなに面白いのか。それはこの王朝が近親婚に執着する点である。

 

とは言ってみたものの、ある程度の近親婚であれば一般的な王家においてもよくみられるものである。世界中でいとこ婚はよく見られるし、日本においても天武天皇はしっかり姪と結婚している、うらやましい

しかしプトレマイオス朝は違う。以下、各ファラオの妃として血縁関係にあるものを列挙する。

プトレマイオス4世…妃アルノシエ3世が両親一致

プトレマイオス6,8世…妃クレオパトラ2世が二人とも両親一致

(念のため注釈を加えると、6世と8世は別の人物である)

そろそろしつこいので、きょうだい婚をしているファラオについては以下列挙するのみとすると、プトレマイオス9,10,12,13,14世がきょうだい婚をしている。6世以降に関して言えば、統治期間の存在が疑われている7世、および後述する11世、ローマに擁立された15世以外はすべてきょうだい婚をしていることになる。なおこれは形式上の結婚ではなく、かなりの確率でしっかりと跡継ぎを残している。

 

ここまででも十分に驚くに値するが、最後に「近親婚」という形に執着したプトレマイオス朝で最もとんでもない結婚歴を持つ女性を紹介する。それがベレニケ3世である。

ベレニケ3世はプトレマイオス9世の娘であり、その弟であるプトレマイオス10世と結婚した。ここまで見るとただの(ただので済まされるのか)叔父との結婚である。しかし、ここからがプトレマイオス朝である。

プトレマイオス10世の死後、ベレニケ3世の父であるプトレマイオス9世が復位するのだが、その際に父である彼と結婚し、共同統治を行うのである。(共同統治を行っていないという説もあるが、ここでは共同統治を行ったという説に従う。)形式上の結婚であり肉体関係が存在しなかった可能性は高いだろうが、プトレマイオス朝のことなので正直なところ否定はし切れないようにも思う。

さらにベレニケ3世の生涯は続く。プトレマイオス9世の死後単独統治者となったベレニケ3世であったが、ローマの支援を得た息子のプトレマイオス11世の帰国により、なんと彼と強引に結婚させられてしまう。と言ってもさすがにこれについては形式上の結婚であり、結婚の19日後にプトレマイオス11世の手によって彼女は暗殺される。

以上のように形式上の結婚があるとはいえ、ベレニケ3世は叔父、父、息子と結婚したことになる。まさにプトレマイオス朝を代表する人物である。

 

で、これほどプトレマイオス朝が近親婚にこだわった理由だが、エジプトの慣習を踏襲して神格化を図った、という説と王朝の血縁関係を強固にし基盤を固めるため、という説が挙げられている。おそらく双方ともある程度理由にはなっているのだろう。ただ、これほどまでにこだわったはいいが結局王朝は兄弟姉妹の内紛で弱体化してしまうし、神格化についても近親婚を始めたあたりから反乱は多発しており、効力があったかといえば少し疑問である。結局のところ、後世に「とんでもない近親婚王朝がある」といった認識を残す程度に終わってしまったような気がして少しもの悲しい気持ちになる。